世界遺産 大峯奥駈道

八経ヶ岳・弥山・明星ヶ岳・唐笠山・七面山・仏生ヶ岳からなる大峯遠望の写真

 平成16年7月7日、ユネスコ(※1)の世界遺産リストに「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録され、大塔町の東部境界の大峯山脈を通る「大峯奥駈道」がこれに含まれました。
  世界遺産とは、国境という概念を離れ、現代を生きる世界のすべての人々が共有し、未来の世代に引き継いでいくべき人類共有の宝物と位置付けられるもので、登録リストは「文化遺産」、「自然遺産」、両方の要素を兼ね備えた「複合遺産」の三つに分けられています。
  世界遺産はこうした遺産の保護活動を通じて地球環境の保全や世界平和の大切さを学んでいこうとするもので、日本では今件までに自然遺産として「白神山地」「屋久島」の2件が、文化遺産としては「姫路城」「古都京都の文化財」等9件が登録されており、奈良県では「法隆寺地域の仏教建造物」「古都奈良の文化財」に続き今件が3件目の登録となりました。
  「紀伊山地の霊場と参詣道」には、「吉野・大峯」「高野山」「熊野三山」に開かれた宗教的聖地と、各霊場を往来するために発達した参詣道「大峯奥駈道」「熊野参詣道」「高野町石道」が含まれ、指定された地域は奈良、三重、和歌山の3県29市町村に渡り、総面積495ヘクタール、参詣道総延長308キロメートルにも及ぶ広範なものとなっています。
  「吉野・大峯」は全国各地に展開された修験道(※2)の根本道場であり、生活、農耕に不可欠な水と、金等の鉱物資源を産出する山として崇められた「金峯山」を中心とする吉野地域と、その南部に続く山岳修行の場である「大峯」の山々からなります。
  「高野山」は、弘法大師空海(774~835)が唐からもたらした真言密教の修行道場として816年に創建した「金剛峰寺」を中心とする霊場で、真言密教の教義に基づく堂塔伽藍の配置は全国に4,000ヶ寺ある真言宗寺院における伽藍の規範となりました。
  標高800~900メートルの山上盆地に開かれた宗教都市には現在もなお117の寺院があり、空海が入定されたとされる奥の院には樹齢500年を越す巨杉が林立し、大小の墓石30万基とともに聖地の深遠な歴史を物語っています。
  「熊野三山」は紀伊山地の南東部で相互に20~40キロメートルの距離をへだてて位置する「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの神社と「青岸渡寺」「補陀洛山寺」の二つの寺院からなります。
  自然崇拝の起源をもつと考えられる神社が、日本の神々は仏や菩薩が衆生救済のために姿を変えたものとする権現思想により「阿弥陀如来(本宮)」「薬師如来(新宮)」「千手観音(那智)」と関連付けられたことで「熊野三所権現」として信仰を集め、さらに南海上に観音菩薩の浄土「補陀洛山」があると信じられたことによる「補陀洛渡海」の信仰も加わって、日本第一の霊験を持つ聖地として信仰されてきました。
  世に「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどに活況を呈した熊野三山への参詣は、平安中期から末期にかけて皇族や貴族が盛んに行なった熊野御幸に始まり、やがて庶民の間にも広まっていきました。
  これら紀伊山地に開かれた修験道の拠点「吉野・大峯」、真言密教の根本道場である「高野山」、熊野信仰の中心である「熊野三山」は、11~12世紀には日本の代表的な霊場としての地位を確立し、全国各地から多くの人々が参詣に訪れるようになったことから、それに伴って各霊場に向かう参詣道、霊場間をむすぶ参詣道が発達してきました。
  今回世界遺産に登録された「大峯奥駈道」「高野町石道」「熊野参詣道」は、古代の自然崇拝的山岳信仰と山岳仏教を基盤として形成された霊場への道であることから、参詣道自体が修行と信仰に深く関わっており、道を歩き自然と対話することで得られる非日常的な体験を通した宗教的感覚の昂揚に価値を置き、あえて険しい行程が選ばれたり、踏破した回数が重んじられたりと、往来に便利さを求める他の街道とは違う意味を持っていました。
  伝説によると、大峯奥駈道は修験道の祖とされる役行者(役小角)が8世紀初めに開いたされ、「吉野・大峯」と「熊野三山」の間を南北に走る大峯山脈の険しい尾根に通じており、奥駈は修験道の中でも最も重視される修行と位置付けられてきました。
  標高千数百メートル級の屹立した山稜を越えていく全長約80キロメートルの道のりには75ヶ所の靡(なびき)と呼ばれる行場が設けられていて、修験者は四季折々に山岳が示す大自然の表情と対話しつつ、これらの行場で祈りを捧げるのです。
  大峯奥駈道は、「明星ガ岳」から「楊子の森」にかけての約3キロ区間が大塔町域を通っており、75靡に含まれる行場としてはこの間に「明星ガ岳」、「菊の窟」、「五鈷嶺」、「舟ノ垰」、西側稜に入った「七面山」があります。
  奥駈道は修験者の行場であることから、遅くとも15世紀末以降は道沿いの樹木の伐採が禁止されてきたことや、昭和11年にはこの地域を中心とした山地が広く吉野熊野国立公園に指定されたことで自然の状態は良好に保全されており、近畿最高峰の八経ガ岳(1915メートル)から明星ガ岳にかけて見られるオオヤマレンゲの群生地等の希少な植物群落も天然記念物として保護されています。
  大峯奥駈道にとってこれらの豊かな自然環境は、自然に神仏を感得しようとする修験道にとって欠くことのできない環境であり、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産として登録された根拠としても、こうした自然環境を含めた参詣道の文化的景観が大きな役割を果たしました。

オオヤマレンゲの蕾と咲いた花の写真

オオヤマレンゲの花

  大塔町(旧大塔村)では村東部を通る大峯奥駈道の世界遺産登録を機に、すぐれた自然美を残す七面山への登山道整備を実施するとともに、大峯山脈の雄大な山並みを大パノラマとして望め、高野山方向への展望にも優れている高野辻ビューポイントに世界遺産登録の記念碑を建立し、これら世界遺産に関わる地域への案内表示を村内各所に設け、世界遺産登録地域としての魅力がより広く知られるよう努めました。
※現在、七面山登山口までの林道は崩落により通行止めとなっています。危険ですので別ルートでの登山をお願いします。

大峯さん山脈山並みを大パノラマとして望める高野辻ビューポイントの写真

高野辻ビューポイント

(※1)ユネスコ(UNESCO)

United Nations Educational,Scientific and Cultural Organizationの頭文字を集めた略称。日本語では国際連合教育科学文化機関といい、本部はパリにある。第二次世界大戦後の1945年、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という反戦の趣旨を掲げ、国連の専門機関として創設された。

(※2)修験道

 山々を神や祖霊のいるところと考えた日本古来の山岳信仰が、平安時代のころより外来の密教や道教などと融合しつつ成立した我が国固有の宗教。峰入り修行により山中の森羅万象そのものより感得し即身成仏を目指す教義を持つ。開祖と位置付けられる役行者(役小角)は7世紀、葛城山麓(御所市茅原)の加茂氏の出と伝わり、葛城山、吉野大峯で修行を積み金峯山上で修験者の守り本尊とされる蔵王権現を感得したと言う。

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更新日:2021年05月12日