五條の歴史年表

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歴史年表について

 時代区分、年代観については諸説があり、この年表では目安として記載しています。

旧石器時代

旧石器時代の年表
  年代 五條のできごと 日本のできごと

後期

約4万年前~約1万6千年前

吉野川流域で、人々がキャンプをしながら移動する
 上島野(かみしまの)遺跡、岡桐山(おかきりやま)遺跡、木ノ原花坂(きのはらはなさか)遺跡のナイフ形石器
 

ナイフ形石器・石斧(せきふ)など列島固有の文化が成立

最寒冷期、海面低下
大型獣の絶滅
「石刃(せきじん)技法」「瀬戸内技法」が全盛となる

縄文時代

縄文時代の年表
  年代 五條のできごと 日本のできごと

草創期

約1万6千年前~約1万年前

 

細石刃(さいせきじん)文化の広がり
土器・石鏃(せきぞく)を使用し始める
定住の始まり
木の実などの貯蔵、燻製作り

早期

約1万年前~約6千年前

 

貝塚の形成
集団墓地の形成、墓への副葬
全国で定住生活が確立
気候が温暖化し、海水面が上昇。漆の使用始まる

前期

約6千年前~約5千年前

吉野川の河岸段丘にある東阿田稲口・切畑(ひがしあだいなぐち・きりはた)遺跡や野原遺跡で、集落が営まれる

遠隔地との交易が活発化
大規模集落の出現

中期

約5千年前~約4千年前

吉野川北岸の丘陵にある中之南仙山(なかのなんせんやま)遺跡で、小規模な集落が営まれる

吉野川南岸の段丘にある上島野(かみしまの)遺跡で、集落が営まれる(中期末~後期初頭)
 石鏃(せきぞく)・打製石斧(だせいせきふ)・石錘(せきすい)などの石器を用いた、山野での狩猟・採集、吉野川での漁撈を生業とする 

「クリ栽培」広がる

土偶(どぐう)・石刀(せきとう)などの祭祀具が盛んに用いられる

後期

約4千年前~約3千年前

東阿田稲口・切畑(ひがしあだいなくち・きりはた)遺跡で再び集落が営まれる
野原北遺跡で、石錘(せきすい)・サヌカイトなどを穴に埋めるマツリが行われる
 

上島野(かみしまの)遺跡で再び集落が営まれる(後期中葉~晩期前葉)
 吉野・紀ノ川を介した遠隔地との往来が活発
 土器に関東・東海・北陸・瀬戸内からの影響
 石鏃(せきぞく)などの原石となる二上山産サヌカイトの獲得

中遺跡で、縄文集落が営まれ、深鉢(ふかばち)・注口付土器(ちゅうこうつきどき)を穴に埋めるマツリが行われる

環状列石(かんじょうれっせき)を持つ墓地、祭祀場が発達する
水場でトチなどのアク抜き

塩の生産が始まる

東北地方に亀ヶ岡様式の土器文化が盛行し、近畿地方にも影響を及ぼす

晩期

約3千年前~約2千4百年前 

中遺跡で、深鉢(ふかばち)を用いた土器棺墓(どきかんぼ)や土壙墓(どこうぼ)が造られる

玄界灘沿岸地域に水稲農耕が伝わり定着する 

遠賀川系土器、水稲農耕、環濠集落の西日本への定着

弥生時代

弥生時代の年表
  年代 五條のできごと 日本のできごと

前期

紀元前約300年~前約180年

吉野川南岸の中遺跡で、弥生集落の形成が始まる
 生駒山西麓産の土器が河内からもたらされた

近畿を中心に方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が定着する

水田稲作が東北北部にまで到達する

中期

紀元前約180年~紀元後約50年

(紀元前)

原遺跡・野原遺跡など、吉野川の河岸段丘の各所に弥生集落が営まれる
 円形の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)に住み、中遺跡では住居の頻繁な建て替えが行われる
 各種の土器、石製の農・工・狩猟・漁撈・調理具、土製の紡織具などを使用
 畑作・狩猟・漁撈・採集などを生業とするが、中遺跡では稲作も行われた
 奈良盆地や紀ノ川流域から、土器や二上山産サヌカイトがもたらされる
 方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)・土器棺墓(どきかんぼ)・土壙墓(どこうぼ)などに埋葬される

火打(ひうち)や滝の吉野川近くで、銅鐸(どうたく)を使ったマツリが行われる

このころ、青銅の武器形祭器と銅鐸(どうたく)を使ったマツリが始まる

近畿を中心に多重環濠(たじゅうかんごう)のムラが生まれる

(紀元後)

原遺跡・野原遺跡などの集落は、縮小または衰退する
中遺跡では、住居の場所を移して集落が継続する
 竪穴住居の平面形が、円形から方形へ変化していく

近畿と出雲で青銅器の大量埋納が行われる
57年 倭の奴国王(なこくおう)が後漢に朝貢し、光武帝(こうぶてい)より印綬を授かる(『後漢書』東夷伝)

近畿で丘陵上に拠点的な高地性集落が出現する 

後期

紀元後約50年~後約260年

地域間の緊張関係から、丘陵上に「高地性集落」が営まれる
 引ノ山(ひきのやま)遺跡で、烽火(のろし)が上げられる?
 釜窪丈六堂(かまのくぼじょうろくどう)遺跡では、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が火をかけられていた

 向山(むこうやま)遺跡で高地性集落が営まれる
 丘陵上に、方形の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)群が建てられる

住川(すがわ)の丘陵上に、方形台状墓(ほうけいだいじょうぼ)の住川1号墳が築かれる

107年 倭国王帥升(すいしょう)ら後漢に朝貢し、生口(せいこう)160人を献じる(『後漢書』東夷伝)

「倭国乱れ相攻伐すること歴年」(『後漢書』東夷伝)
卑弥呼を倭国女王に共立し、「倭国乱」終わる

239年 女王卑弥呼が大夫の難升米(なしめ)らを帯方郡(たいほうぐん)に遣わし、魏の明帝(みんてい)に朝献を求める。明帝、卑弥呼に『親魏倭王(しんぎわおう)』の称号を下賜する(『魏志』倭人伝)

248年 このころ、卑弥呼死す。卑弥呼の宗女で13歳の台与が女王となる

古墳時代

古墳時代の年表
  年代 五條のできごと 日本のできごと

前期

3世紀後半~4世紀後半

向山丘陵の北側の近内尾崎遺跡で、小規模な集落が営まれる

吉野川北岸の上位段丘の岡有家遺跡で、小規模な集落が営まれる

荒坂峠の頂上に、方墳の大墓(青墓)古墳が築かれる

このころ、定型化した巨大前方後円墳・箸墓古墳の築造が始まり、以後、列島各地で前方後円墳が造られ始める 
このころ、奈良盆地東南部に大王墓や大形前方後円(方)墳が次々に築造される 
このころ、佐紀古墳群・馬見古墳群の築造が始まる 
このころ、古市古墳群の築造が始まる
このころ、大阪府南部で須恵器の生産が始まる

中期

4世紀末~5世紀後半

向山丘陵に、大形円墳の近内鑵子塚古墳が築かれ、近内古墳群の築造が始まる
近内古墳群に近接した西河内堂田遺跡で、土器を集積する祭祀が行われる

円墳の丸山古墳が築かれる

近内古墳群から離れた天神山丘陵の東側に、前方後円墳の今井1号墳が築かれる
方墳の五條猫塚古墳・塚山古墳が築かれ、多量の鉄製品・金銅製品が副葬される
この地域に鉄製品・金銅製品の製作技術者集団がいたことをうかがわせる

大形方墳のつじの山古墳・西山古墳が築かれ、近内古墳群の築造がほぼ終わる
このころまでに、鴨神遺跡で風の森峠越えの道路が整備される

421年 倭王讃、宋に遣使する

471年 埼玉稲荷山古墳出土鉄剣銘文(辛亥年)
478年 倭王武、宋に遣使し、上表して安東将軍に任じられる

このころ、西日本の古墳に横穴式石室が採用され始める 

後期

5世紀末~6世紀末

今井窯など天神山丘陵で須恵器の生産が始まる
吉野川南岸の丘陵に、横穴式石室を有する帆立貝形古墳の南阿田大塚山古墳が築かれる
阿太・引ノ山・向山丘陵などで、木棺を直葬した小規模な古墳群が築かれる
吉野川南岸の丘陵に、横穴式石室を有するコウモリ塚古墳が築かれる
このころまでに、重阪峠越えの道路(紀路・巨勢路)が整備される

このころ、南九州から隼人と呼ばれる人々の阿太への移住が本格化する?

503年(一説に443年) 隅田八幡神社人物画象鏡銘文(癸未年) 

507年 継体天皇即位

527年 筑紫君磐井の乱

538年(一説に552年) 百済の聖明王により仏教公伝 

588年 飛鳥寺(法興寺)の造営始まる

このころ、列島各地で前方後円墳の築造がほぼ終わる

飛鳥時代

飛鳥時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと
 

吉野川南岸の丘陵に、横穴式石室を有する黒駒古墳が築かれる
今井天神山瓦窯で瓦の生産が行われ、飛鳥の奥山廃寺へ瓦を供給

舒明天皇が内野で遊猟
向山丘陵に、横口式石槨を有する勘定山古墳が築かれる

荒坂瓦窯群で須恵器と瓦の生産が行われ、飛鳥の川原寺へ瓦・塼を供給

牧代瓦窯群で瓦の生産が始まり、飛鳥の本薬師寺、藤原宮などへ瓦を供給

593年 聖徳太子、摂政となる
604年 憲法十七条の制定
607年 遣隋使(小野妹子ら)をおくる

630年 遣唐使(犬上御田鍬ら)をおくる
645年 乙巳の変(大化の改新)
663年 倭・百済軍、白村江で唐・新羅軍と戦い大敗

672年 壬申の乱
682年 隼人が多数朝貢し、大隅隼人と阿多隼人が朝庭で相撲を取る

694年 藤原京に遷都

698年

2月 文武天皇が宇智郡に行幸

 

701年(大宝元)

9~10月 文武天皇・持統太上天皇が紀伊国に行幸

大宝律令の完成

706年(慶雲3)

2月 文武天皇が内の野に行幸

 

709年(和同2)

 

薩摩隼人入朝。大替隼人の制度が始まる(~805年)

奈良時代

奈良時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

710年(和同3)

 

平城京に遷都

712年(和同5)

1月 『古事記』完成。神武天皇段に「阿陀の鵜養」が記される

 

719年(養老3)

「榮山寺文書」に、藤原武智麻呂が榮山寺を創建したと伝える

 

720年(養老4)

5月 『日本書紀』完成。神武天皇即位前紀に「阿太の養鸕部」が記される

 

724年(神亀元)

10月 聖武天皇が紀路を経て紀伊国に行幸

聖武天皇即位

728年(神亀5)

山代忌寸真作没。阿太の地に妻の蚊屋忌寸秋庭(722年没)と合葬される

 

729年(神亀6)

 

長屋王の変

739年(天平11)

吉備真備の母の楊貴氏の墓誌が作られる

 
 

このころ、居伝瓜山瓦窯で瓦が生産される

 

752年(天平勝宝4)

 

東大寺大仏開眼供養会

757年(天平宝字元)

 

橘奈良麻呂の変

764年(天平宝字8)

藤原仲麻呂(恵美押勝)が榮山寺八角堂を建立。このころ、仲麻呂が父の武智麻呂(737年没)を榮山寺裏山に改葬したとみられる

藤原恵美押勝の乱
 

765年(天平神護元)

 

神功開寶発行

770年(宝亀元)

このころ、出屋敷遺跡で火葬墓が造られる

光仁天皇即位

772年(宝亀3)

 

井上内親王廃后、他戸親王廃太子

773年(宝亀4)
 

10月 井上内親王・他戸親王が、宇智郡の没官宅に幽閉される

 

775年(宝亀6)

4月 井上内親王・他戸親王が没する

 

777年(宝亀8)
 

12月 井上内親王を改葬。その墳を御墓と称し、守冢一烟を置く
 

 

778年(宝亀9)

宇智川の東岸に大般涅槃経が刻まれる(宇智川磨崖碑)

 

781年(天応元)

 

桓武天皇即位

784年(延暦3)

 

長岡京に遷都

平安時代

平安時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

794年(延暦13)

 

平安京に遷都

816年(弘仁7)

 

空海、高野山に金剛峯寺を建立

 

このころ、霊安寺・御霊神社が建立され、宇智郡内に御霊信仰が広まり始める

 

894年(寛平6)

 

菅原道真、遣唐使廃止を建言

 

このころ、葛城山・金剛山の山岳信仰が盛んになる

 

917年(延喜17)

京都・道澄寺の梵鐘(現在の榮山寺梵鐘)が作られる

 

930年代(承平年間)

このころ完成した『倭名類聚抄』に、宇智郡の阿陁・賀美・那珂・資母の四郷名が見える

 

935年(承平5)

 

承平・天慶の乱始まる

1016年(長和5)

 

藤原道長、摂政となる

11世紀後半

このころまでに、榮山寺が興福寺の末寺となる

 

1156年(保元元)

大和源氏の宇野親治、保元の乱に参戦

保元の乱

1159年(平治元)

 

平治の乱

1168年(仁安3)

「東大寺文書」に坂合部・二見の郷名が見える

 

鎌倉時代

鎌倉時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

1192年(長久3)

 

源頼朝、征夷大将軍に任じられる(鎌倉幕府の成立)

1221年(承久3)

 

承久の乱

1238年(嘉禎4)

このころ、宇智郡内に御霊神社が分祀される

 

13世紀中葉

このころ成立した『簡要類聚抄』に、豊井庄四ケ郷として大岡・二見・大鳥・坂合部の郷名が見える

 

1274年(文永11)

 

文永の役

1281年(弘安4)

 

弘安の役

13世紀後葉

このころ居伝館が築かれ、15世紀前葉まで存続する

 

1331年(元弘元)

大塔宮護良親王、十津川を経由して大塔へ入る

 

1333年(元弘3)

 

鎌倉幕府の滅亡

1334年(建武元)

 

建武の新政

室町時代

室町時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

1336年(建武3/延元元)

京都に幽閉されていた後醍醐天皇が、賀名生を経て、吉野に逃れる。宇智・吉野郡の武士の多くは南朝方につく

建武式目の制定(室町幕府の成立)
南北朝時代始まる

1338年(暦応元/延元3)

 

足利尊氏、征夷大将軍に任じられる

1339年(暦応2/延元4)

後醍醐天皇吉野で崩御

 

1348年(貞和4/正平3)

吉野の行宮陥落、南朝の後村上天皇、賀名生に入る

 

1350年(観応元/正平5)

観応の擾乱(足利氏の内紛)

 

1351年(観応2/正平6)

正平の一統

 

1352年(観応3/正平7)

北朝方が勢力を盛り返し正平の一統破れる。後村上天皇ふたたび賀名生へ逃れる

 

1354年(文和3/正平9)

北畠親房、賀名生で没したとされる
後村上天皇、賀名生から天野山金剛寺へ移る

 

1360年(延文5/正平15)

護良親王の遺子(赤松宮)、賀名生を焼き討ち

 

1379年(康暦元/天授5)

南朝の長慶天皇、榮山寺に行宮を置く(~1382年)

 

1392年明徳3(元中9)

 

南北朝の合一

1395年(応永2)

宇智郡が興福寺一乗院領になる

 

1401年(応永8)

 

足利義満、明に通交

1409年(応永16)

このころから幕府管領畠山氏の勢力が宇智郡内に延びてくる
畠山満家が須恵庄の土地を観心寺に寄進

 

1428年(正長元)

畿内諸国で土一揆が起こる。同時に宇智郡では後南朝の勢力も挙兵

 

1441年(嘉吉元)

 

嘉吉の変

1460年(長禄4)

畠山義就が宇智郡木原の土地を観心寺に寄進(観心寺文書)

 

1467年(応仁元)

畠山氏の内紛が応仁の乱に発展。宇智郡の武士も戦乱に巻き込まれる

応仁・文明の乱(~1477年)

1471年(文明3)

興福寺の影響力がほぼなくなる
このころから、宇智郡武士の連合が見られ始める

 

1485年(文明17)

 

山城の国一揆

1497年(明応6)

興福寺被官古市氏が、宇智郡の支配を畠山氏から許可される

 

1513年(永正10)

畠山義英の軍勢が宇智郡に侵入し、畠山尚順方の宇智郡武士が迎え撃つ

 

1521年(大永元)

畠山義英の軍勢が吉野郡から宇智郡に出陣。河内から南下してきた畠山稙長勢と戦闘

 

1543年(天文12)

 

鉄砲伝来

1549年(天文18)

 

ザビエル、鹿児島に上陸(キリスト教の伝来)

1552年(天文21)

畠山尚誠が宇智郡の土地を隅田八幡宮に寄進
畠山尚誠が榮山寺に乱暴狼藉他を禁ずる禁制を掲げさせる

 

1558年(弘治4)

前年の干ばつに対し、宇智郡内の百姓と武士が団結し、宇智郡惣郡一揆を結成

 

1573年(天正元)

 

室町幕府の滅亡

安土桃山時代

安土桃山時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

1576年(天正4)

織田信長、筒井順慶に大和を支配させる。大和に差し出し(検地)を命ずる

 

1580年(天正8)

信長、高野山による宇智郡知行を認める

 

1582年(天正10)

 

本能寺の変

1585年(天正13)

豊臣秀吉、弟の秀長を郡山に送り大和を支配させる

 

1588年(天正16)

 

秀吉、刀狩を行う

1590年(天正18)

 

秀吉の全国統一

1592年(文禄元)

 

文禄の役

1593年(文禄2)

検地奉行小堀正次が宇智郡の検地を行う

 

1595年(文禄4)

 

太閤検地が行われる

1597年(慶長2)

 

慶長の役

1600年(慶長5)

 

関ヶ原の戦い

江戸時代

江戸時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

1603年(慶長8)

 

徳川家康、江戸幕府を開く

1608年(慶長13)

松倉重政、二見城に一万石余の大名として入る
新しく町家を取り立て、諸役免許して新町を開く

 

1615年(元和元)

 

大坂夏の陣(豊臣氏滅ぶ)

1616年(元和2)

松倉重政、肥前日野江城へ国替え

 

1630年(寛永7)

このころ新町村で二ヶ所の市が立つ

 

1631年(寛永8)

紀州橋本の商人が川舟の利権を握り、橋本より上への舟の通行が禁止される
これに対し五條の商人は、幕府へ伝馬所設立を願い出る

 

1635年(寛永12)

 

海外渡航の禁、参勤交代制の確立

1637年(寛永14)

 

島原の乱

1639年(寛永16)

伝馬所高札が下される

 
 

このころ大塔篠原出身の弥兵衛、五條の火薬職人のもとで修業したといわれる
のち江戸に移り、花火屋「鍵屋」の元祖となる

 

1641年(寛永18)

 

オランダ商館を長崎出島に移す

1651年(慶安4)

 

由比正雪の乱

1679年(延宝7)

延宝検地が行われる
このころから賀名生郷を中心に漆が栽培される(吉野漆・賀名生漆)

 

1687年(貞享4)

 

生類憐れみ令開始

1695年(元禄8)

五條の商人赤根屋半七、大阪で遊女と心中

 

1702年(元禄15)

 

赤穂義士の討ち入り

1703年(元禄16)

五條村で大火災、家屋ことごとく焼失

 

1704年(宝永元)

祗園南海が『五條十八景』を詠む

 

1716年(享保元)

 

享保の改革(~1745年)

1724年(享保9)

五條馬借所と賀名生谷村々の争論に対して、評定所の裁定が下される

 

1728年(享保13)

牧野村で楊貴氏の墓誌出土を伝える

 

1771年(明和8)

五條村より出火、200軒が焼失

 

1772年(安永元)

大阪豊竹座で、赤根屋半七を題材とした「艶姿女舞衣」が上演される

 

1774年(安永3)

 

杉田玄白ら、『解体新書』刊行

1778年(安永7)

 

ロシア船、蝦夷地に来航

1782年(天明2)

 

天明の飢饉

1787年(天明7)

天明の飢饉、五條でも打ちこわしが起こる

寛政の改革(~1793年)

1795年(寛政7)

五條代官所が設置される

 

1800年(寛政12)

 

伊能忠敬、全国測量を開始

1804年(文化元)

五條村の乳癌患者が、紀州の医者華岡青洲による世界初の全身麻酔手術を受ける

 

1805年(文化2)

代官所が主善館を設立、農民・町人に学問を奨励

 

1825年(文政8)

 

異国船打払令

1828年(文政11)

 

シーボルト事件

1830年(天保元)

御蔭参り

 

1833年(天保4)

 

天保の飢饉(~1839年)

1836年(天保7)

代官蓑笠之助が麦作を検分

 

1837年(天保8)

 

大塩平八郎の乱

1838年(天保9)

五條村で火事、約25件が焼失
代官竹垣三右衛門が焼け跡を検分、焼失家に銭五貫文ずつ与える

 

1841年(天保12)

 

天保の改革

1843年(天保14)

天保の改革により、五條代官が賀名生郷に教諭請書を発令し、農民の生活に関して制限を加えた

 

1844年(弘化元)

森田節斎が京都で塾を開き、門弟を訓育する

 

1853年(嘉永6)

吉田松陰が森田節斎を訪ね、入門する

米ペリー艦隊浦賀に来航

1854年(嘉永7)(安政元)

6月14日に大地震。五條村では吉野川原で筵囲いをして夜を明かす(伊賀上野地震)
11月4・5日にも二日連続の大地震(東海・南海地震)

日米和親条約を締結

1855年(安政2)

 

江戸大地震

1858年(安政5)

地震あり(飛越地震)

日米修好通商条約を締結
安政の大獄始まる

1860年(万延元)

 

桜田門外の変

1863年(文久3)

天誅組の変
五條代官所管轄下の天領は、高取藩が預かり支配

薩英戦争、八月十八日の政変

1864年(元治元)

代官に中村勘兵衛が就任

禁門の変、第一次長州征討

1867年(慶応3)

 

大政奉還、王政復古の大号令

明治時代

明治時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと

1868年(明治元)

官軍が五條に進駐、中村勘兵衛が代官所を明け渡す
奈良県を設置
奈良県は奈良府と改められる
 
1869年(明治2) 再び奈良県となる(ただし管轄は天領旗本知行地・寺社領のみ) 版籍奉還
1870年(明治3) 五條県が発足(宇智・吉野両郡と河内の石川・錦部両郡、紀伊の伊都郡)  
1871年(明治4) 五條県は廃止。旧大和国一円が奈良県となる 廃藩置県、郵便開始
1872年(明治5) 大区・小区制が敷かれる  
1873年(明治6)   徴兵令公布、地租改正
1874年(明治7) 市域内で小学校の開校が相次ぐ  
1875年(明治8) 五條師範学校が開校  
1876年(明治9) 奈良県が堺県に合併される  
1877年(明治10)   西南戦争
1878年(明治11) 大区・小区制が廃止され、堺県宇智郡・吉野郡が置かれる  
1881年(明治14) 堺県が大阪府に合併される 国会開設の詔
1887年(明治20) 大阪府から奈良県が独立、再設置される  
1889年(明治22) 市町村制の発布。宇智郡五條町ほか7村、吉野郡大塔村・白銀村・宗桧村・賀名生村発足
吉野郡大水害
大日本帝国憲法の発布
1890年(明治23)   第1回総選挙
1894年(明治27)   日清戦争(~1895年)
1896年(明治29) 南和鉄道(高田~五條間)が開通
奈良県尋常中学校五條分校(今の県立五條高校)が開校
 
1898年(明治31) 紀和鉄道(橋本~五條間)が開通  
1902年(明治35)   日英同盟成立
1903年(明治36) 宇智郡女子手芸学校(五條高等女学校の前身)が開校  
1904年(明治37)   日露戦争(~1905年)
1909年(明治42) 五條町で電話が開通  
1912年(明治45) 大和索道、五條町二見~和歌山県富貴村間に索道を開設  

大正時代

大正時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと
1914年(大正3)   第一次世界大戦(~1918年)
1918年(大正7)   シベリア出兵。米騒動が全国に波及
1920年(大正9) 五條町ほか、五條~新宮間の鉄道(五新鉄道)建設を国に請願  
1922年(大正11) 天辻トンネルが開通し、小型バスが阪本まで運行を開始する  
1923年(大正12) 大川橋が竣工
五新鉄道敷設案が帝国議会を通過する
関東大震災
1925年(大正14)   治安維持法・普通選挙法を公布、ラジオ放送開始

昭和時代

昭和時代の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと
1927年(昭和2)   金融恐慌
1930年(昭和5)   昭和恐慌
1931年(昭和6)   満州事変が起こる
1937年(昭和12)   日中戦争勃発
1939年(昭和14) 五新鉄道(阪本線)起工式 第二次世界大戦開戦
1940年(昭和15)   日独伊三国同盟締結
1941年(昭和16)   太平洋戦争開戦
1945年(昭和20) 八月八日、米軍艦載機の空襲を受け、北宇智駅停車の列車・北宇智小学校・大川橋付近で死傷者がでる ポツダム宣言受諾、終戦
1946年(昭和21)   日本国憲法公布
1950年(昭和25) このころ、県立五條高等学校水泳チーム、オリンピック・アジア大会・国体で大活躍。国体で十連勝(女子)  
1951年(昭和26) 昭和天皇が五條町をご訪問 サンフランシスコ講和条約調印
1952年(昭和27) 大阿太村佐名伝、大淀町へ分かれる  
1953年(昭和28)   テレビ放送開始
1956年(昭和31)   国際連合加盟
1957年(昭和32) 五條市が誕生  
1959年(昭和34) 五條市が南宇智村と合併
白銀、賀名生、宗桧の三村が合併して西吉野村誕生
伊勢湾台風来襲、大災害発生
 
1960年(昭和35) 大川橋架け替え工事竣工  
1964年(昭和39)   東京オリンピック
1965年(昭和40) 国鉄阪本線(五條~城戸間)が国鉄バス専用道として暫定営業開始  
1970年(昭和45)   万国博覧会
1971年(昭和46) 国鉄阪本線天辻トンネル貫通  
1972年(昭和47)   沖縄返還
1973年(昭和48)   石油ショック
1981年(昭和56) 五新鉄道工事中止  
1984年(昭和59) 和歌山線電化完成  

平成

平成の年表
年代 五條のできごと 日本のできごと
1995年(平成7)   阪神・淡路大震災
2005年(平成17) 五條市・西吉野村・大塔村が合併し、新生五條市発足  
2006年(平成18) 京奈和自動車道五條道路完成  
2010年(平成22) 五條新町の町並み、重要伝統的建造物群保存地区に選定される  
2011年(平成23) 台風12号襲来、紀伊半島大水害発生

東日本大震災

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更新日:2019年01月07日