賀名生の里歴史民俗資料館

南朝の歴史とロマンが薫る隠れ郷「賀名生」

賀名生の里歴史民俗資料館
賀名生の里歴史民俗資料館の写真

賀名生の里歴史民俗資料館は、平成22年4月1日から指定管理者制度で運営しています。
(指定管理者:和田自治会)

新型コロナウイルス感染拡大予防対策について

賀名生の里歴史民俗資料館では、新型コロナウイルス感染症拡大予防の対策として下記の取り組みを実施しています。ご入館にあたり、健康状態の確認や検温へのご協力をお願いいたします。

お客様へのお願い

・入館前の検温を実施しています。37.5度以上の発熱や風邪の症状などがある場合は入館をご遠慮ください。
・入館時にはお客様のマスク着用をお願いします。
・手洗いやアルコール消毒使用の協力をお願いします。
・他の観覧者との距離を十分にとるようにしてください。
・混雑時の入場制限をおこなう場合があります。
・陽性者が出た場合の行動履歴確認のため、入館時に連絡先などの記入をお願いしています。

当館の対応

・館内の消毒、清掃、換気を定期的におこなっています
・スタッフの検温、マスク着用、手洗い、アルコール消毒をおこなっています。

おしらせ

資料館の案内リーフレットをダウンロードできます(2015年11月11日登録)

賀名生について

南朝と賀名生

1336年(〈南朝〉延元元・〈北朝〉建武3)、後醍醐天皇は、幽閉先の京都・花山院(かざんいん)を脱出し、吉野へと向かいました。この途中で賀名生に滞在しています。吉野にこもった天皇は、自らが正統の天皇であると主張したことから、京都(北朝)と吉野(南朝)の二つの朝廷が出現する事態になりました。こうして、以後約60年にわたる両朝が対立・抗争する「南北朝時代」が幕を開けました。

後醍醐天皇の賀名生滞在の理由の一つに、真言密教に大きく帰依(きえ)していた天皇が、総本山である高野山金剛峯寺への行幸(ぎょうこう)を強く願い、それがかなわない場合に吉野山金峯山寺へと向かう計画のため、高野山と吉野山のほぼ中間地点に位置する賀名生で様子をうかがっていたことが挙げられます。

後醍醐天皇の跡を継いだ後村上天皇は、1348年(正平3・貞和4)、南朝の本拠地の吉野山が焼き討ちにあうと、賀名生に行宮(あんぐう)を定めました。それから間もない1351年(正平6・観応2)、北朝の天皇を擁立した足利尊氏が、一時的に南朝に降伏し北朝の天皇は廃されます。こうして、わずか数か月のことですが、南朝が唯一の朝廷となり、賀名生は都になりました(このできごとを「正平の一統」と呼びます)。
その後、南朝の行宮は河内や摂津などにも移りますが、賀名生は南北朝時代を通して、度々その拠点となりました。

 南朝と西吉野の歴史をまとめた年表をダウンロードできます。

南朝と西吉野の歴史年表の画像

地名の由来

南北朝時代に記された記録などによると、この地はもともと「穴生」・「穴太」・「阿那宇」などと表記され、「あなう」と呼ばれていたようです。正平の一統の時、後村上天皇は「願いがかなってめでたい」との思いから、この地を「加名生(かなう)」と名付けたと伝わっています。後に、この地の人々は「加名生」はおそれ多いので「賀名生」に改めたといわれ、明治のはじめに読み方を「あのう」に統一しました。

資料館の概要

沿革

平成17年(2005)9月の合併以前の西吉野村において、「賀名生皇居跡」と伝えられる堀家住宅(重要文化財)を中心に、西吉野の歴史と文化を紹介し伝承する拠点をつくることを目的として、平成10年(1998)から「南朝史跡公園整備事業」が実施されました。この事業の中心が「皇居前整備事業」で、資料館・伝承館・四阿(あずまや)の建設が平成15年(2003)6月から着手され、平成16年(2004)7月に完成しました。そして同年9月1日に資料館が開館しました。

施設の概要

賀名生の里歴史民俗資料館は、五條市西吉野町の北西部、吉野山地からのびる支脈がしだいに低くなる丹生川(にうがわ)沿いの谷筋に位置しています。
周辺には、堀家住宅(重要文化財)や(伝)北畠親房公墓、華蔵院跡(けぞういんあと)などの南朝ゆかりの史跡が多数残されています。また、奈良県三大梅林の一つ賀名生梅林と隣接し、周辺の自然環境と調和した中で、西吉野地域の歴史と文化を紹介しています。
このほか、南朝ゆかりの史跡をはじめとする西吉野地域の文化財情報や史跡散策、季節の情報などを提供しています。

敷地面積

2216.71平方メートル

資料館

(建築面積284.86平方メートル)

資料館の外観の写真

資料館の外観

木造平屋建て本瓦葺の資料館は、真壁(しんかべ)の漆喰仕上げで、つし二階がデザインされ、町家風に建築されています。
資料館には、管理事務所、展示室、情報・図書コーナーが設けられています。

伝承館

(建築面積124.21平方メートル)

伝承館の外観の写真

伝承館の外観

木造平屋建ての伝承館は、奈良県を中心にみられる民家の一つ「大和棟(やまとむね)」をモデルとして建築されています。
4間の和室(8畳2間、6畳2間)と湯沸かし室が設けられています。
この伝承館の和室は、資料館主催の講座や講演会の場として利用されるほか、市民の方の文化活動や研修の場としてご利用いただけます。
詳しくは、「伝承館和室の利用について」をご覧ください。

利用案内

所在地 〒637-0117 奈良県五條市西吉野町賀名生5番地
電話 0747-32-9010
ファックス番号 0747-32-9010

開館時間

9時から17時まで(入館受付は、16時30分まで)

休館日

月曜日、祝日の翌日と年末年始(12月29日~翌年1月3日)

入館料金

大学生・一般 300円(団体 240円) 高校生 150円(団体120円) 小学生・中学生 100円(団体 80円)

  • ※団体は20人以上です
  • ※障がい者手帳等をお持ちの方とその介添者1名は無料です。

 次の場合は、入館料金が減免されます

市内の小学校・中学校・高等学校の児童生徒および引率者が、校外学習などの学習活動として入館する場合。
※入館料金の減免を受ける場合は、「入館料金等減免申請書」を入館予定日の10日前までに提出していただく必要があります。校外学習などをお考えの学校関係者は、事前に資料館(電話0747-32-9010)までご相談ください。
「入館料金等減免申請書」は、次のリンクからダウンロードできます。

伝承館和室の利用について

伝承館和室の利用には、事前に「利用許可申請書」の提出が必要です。
申請についての詳細は、資料館(電話0747-32-9010)までお問い合わせください。
「利用許可申請書」は、こちらからダウンロードできます。

  • 利用料金 1時間あたり300円

 資料館の案内リーフレットは、こちらからダウンロードできます。下のファイルリンクをクリックしてください。

南朝三帝の歴史とロマンが薫る隠れ郷 賀名生の里歴史民俗資料館

展示案内

資料館案内図の画像

資料館案内図

地域の歴史・南朝の歴史

展示室「地域の歴史・南朝の歴史」の写真

賀名生皇居跡と伝えられる堀家に代々受け継がれてきた南朝ゆかりの宝物を主に展示しています。
また、幕末の文久3年(1863)に起こった「天誅組の変」で、戦いの場の一つとなった西吉野地域に残された貴重な関係資料も展示しています。

主な展示資料

南朝ゆかりの資料

(伝)後醍醐天皇下賜(かし)品

  • 日の丸御旗(ひのまるのみはた)
  • 一節切笛(ひとよぎりのふえ)
  • 駅鈴(えきれい)
  • 天目台(てんもくだい)

小楠公〈楠木正行(くすのきまさつら)〉の陣鐘(じんしょう) 

天誅組関係の資料

「皇居」扁額(「こうきょ」へんがく)
玄米差出証文(げんまいさしだししょうもん)
大日川村焼失絵地図 (おびかわむらしょうしつえちず)

映像シアター

映像シアターの写真

賀名生行宮物語り(約15分)

賀名生の里を舞台とした南朝の天皇と里人とのロマンにあふれる物語りを上映しています。
この映像で、賀名生と南朝の歴史との関わりを詳しく紹介しています。
映像とアニメーションが一体となった臨場感あふれる映像をお楽しみください。

西吉野のくらしと文化

展示室「西吉野のくらしと文化」の写真

農耕や林業など西吉野の人々のくらしを支えてきた民俗資料を多数展示しています。これらの創意と工夫に満ちた道具から、山里に生きた人々の知恵や技術、くらしを紹介しています。
また、嫁入り籠などの華麗な祝い事の道具やすすき献灯などの祭りの道具から、西吉野地域の人々の風習や信仰を紹介しています。
このコーナーでは「青い目の人形・パトリ」、「直木三十五直筆の履歴書」も展示しています。

展示資料紹介

青い目の人形「パトリ」(資料館所蔵)
青い目の人形パトリの写真

青い目の人形「パトリ」は、日米友好親善のために、昭和2年(1927)、アメリカの子どもたちから日本の各地の小学校などに贈られた約1万2千体の人形のうちの一つです。この時、日本からは58体の答礼人形が贈られました。当時、日本で流行していた童謡「青い目の人形」のイメージと重なり、大変親しまれた人形でしたが、その後太平洋戦争が始まると敵国の人形ということで、そのほとんどが処分されました。
この「パトリ」は、昭和29年(1954)、賀名生小学校(当時)の物置小屋にあった炭俵の中から発見されました。戦時中、学校関係者が、処分されないように隠しておいたと考えられます。このように、ひそかに守られた人形が現在、全国で320体あまり確認されています。当時144体の人形が贈られた奈良県では、「パトリ」を含めて4体の人形が確認されています。

直木三十五直筆の履歴書(資料館所蔵)
直木三十五直筆の履歴書の写真

大衆文学の賞として有名な直木賞。その名の由来となった直木三十五(本名:植村宗一 1891~1934)の直筆の履歴書です。直木は、明治43年(1910)、大阪の旧制市岡中学校を卒業し、白銀村(現在の五條市西吉野町)の奥谷尋常小学校の代用教員になりました。この履歴書は、その時に提出されたものです。
直木の自叙伝には、当時の村のくらしの様子が記されています。また地元では、校庭のヤマモモの巨樹(県指定天然記念物)に登って大声で「デカンショ節」を歌ったり、木陰に机を出させて授業を行ったりしたなどの逸話が残されています。

催し物案内

過去のイベント情報

過去に資料館で開催したイベントの様子を紹介します。

交通案内

電車・バスをご利用の場合

JR和歌山線五条駅下車、駅南口・南方面のりばから奈良交通バスの「新宮駅、十津川温泉、城戸」方面行きに乗車し「賀名生和田北口」バス停下車、北西へ約100メートル

※JR五条駅南口から資料館まで8.5キロメートル(バス乗車時間は約20分)

自動車をご利用の場合

大阪方面から

南阪奈道路葛城インターチェンジを降り太田南交差点を右折→県道30号御所香芝線・県道261号西佐味中之線(通称山麓線)を直進し、中之町北交差点を左折→国道310号・国道168号を直進(南下)
※太田南交差点から資料館まで約26キロメートル、中之町北交差点から資料館まで約9キロメートル

和歌山方面から

京奈和自動車道五條インターチェンジを降り五條インターチェンジ前交差点を右折→国道310号・国道168号を直進(南下)
※五條インターチェンジ前交差点から資料館まで8.6キロメートル

奈良方面から

国道24号、京奈和自動車道、県道30号御所香芝線・県道261号西佐味中之線などを利用(国道24号を利用の場合)本陣交差点を左折→国道168号を直進(南下)
※本陣交差点から資料館まで7.5キロメートル
(京奈和自動車道を利用の場合)上の「和歌山方面から」をご覧ください。
(県道30号・県道261号を利用の場合)上の「大阪方面から」をご参照ください。

ダウンロードファイル

関連情報

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局 文化財課
電話:0747-24-2011
メールでのお問い合わせはこちら

更新日:2021年04月28日